INTERVIEW
TAKAHASHI YUSUKE

髙橋裕介

株式会社ちはや 代表取締役 ちはや鍼灸接骨院 院長 https://chihaya-kobe.com/

略歴

3つの医療専門学校に通いつつ、整形外科・鍼灸接骨院・スポーツトレーナーとして関西圏を中心に活動し、2011年神戸市灘区にちはや鍼灸接骨院を開院。

現在の仕事についた経緯

学生時代の殆どの時間を野球に費やしたものの、怪我で離脱し治療する時間が年齢を重ねるごとに長くなりました。高校卒業時には走れない身体になっており、病院でも原因不明を連呼された為、自分の身体の構造に興味を持ち、スポーツトレーナーになる為に専門学校に入学しました。
在学中に原因不明が原因不明ではない事が分かり、接骨院で施術を受け改善。この時、東洋医学と西洋医学の違いを知り、東洋医学に興味を持ちました。
卒業後は高齢者・社会人・学生と様々な年齢層ターゲットに、様々なスポーツのサポートを行いました。
同じ様に練習していても怪我をする人としない人がいる事に疑問を持ち、原因を探っていくと、どんな疾患にも日常生活が関連している事が分かりました。
多くの人に根本的原因を伝える為に、柔道整復師・鍼灸師の国家資格を取得し、開業しました。

仕事へのこだわり

施術を生業にしていますが、私が行う事は健康を手に入れる為のきっかけづくりです。人生が継続しているという事は、生きたい想いの表れと考えています。
こう感じるまでには様々な葛藤がありました。
柔道整復師は昔、ほねつぎと呼ばれ、落語にも登場する程メジャーな職種でした。以前は骨折や脱臼なども整形外科では無く、接骨院で整復し、レントゲンに頼ることなく完治に導いていました。学校でも骨折や脱臼の整復方法は習いますが、現場で整復する事は皆無です。
折角だったら骨折や脱臼を整復し、固定したいという想いから、冬にスキー場の救護所で救護者として居座り、毎日のように骨折・脱臼・捻挫・切創などに加え、心肺停止の利用者と接してきました。
そこで感じた無力感と自分のエゴ。骨折・脱臼は習った方法では整復できず、様々な方法を模索し、勉強しました。
その場その場の瞬時の決断を行う施術者と大きな怪我でパニックになっている利用者。結局は利用者に落ち着いてもらわないと身体の緊張がとれず、整復する事は出来ません。
ある日、非常に酷い状態で担ぎ込まれた利用者に整復の対応をするべきか、そのまま救急搬送するか悩んでいました。利用者を落ちつかせるつもりで行っていた行為で、勝手に骨が整復されました。
何が何だか当時は分からなかったのですが、身体は元の状態に戻ろうと必死で、施術者はそれを誘導するだけでいい事に気が付きました。
それからは、必要以上の刺激を与えず、自然治癒力が効きやすい方向に誘導する事だけに集中したところ、短時間で整復できました。
これは腰痛や肩こりにも関連する事で、目から鱗ではありましたが、肩ひじ張らず施術する転機になりました。
施術は共同作業で、利用者の「心技体」「衣食住」の環境整理のきっかけを作る事です。それを実行するかしないかは利用者に委ねるスタイルで日々施術を行っています。

若者へのメッセージ

まだまだ若者だと思っていますし、私より若くて素晴らしい方は沢山いらっしゃるので、現時点で人生の振り返りとして聞いてください。
今行っている事が将来どうなるかは誰も分からないから、今できる事は今を一所懸命生きる事。これを継続する事で10年後に振り返った時に、点と点だった経験が線でつながっていることが分かります。
人生とは、より多くの経験値をいかに獲得できるかだと考えています。その積み重ねが「人間力」「人の器」「懐の深さ」になって表れるのだと思います。若い頃は「能力」「他人との比較」「外見の印象」に目が向くことが多く、それが正しいと思っていました。
しかし、自分で起業し、沢山の方々と出会う中で、それはコンパの様な短期的イベントでは効果を発揮するかもしれませんが、人生の長期イベントの中ではあまり重要ではない事に気づきました。結局のところ、そこに執着する自分に向きあう事が大切だと思います。
経験として起こった現象をすべて「面白い事」と捉え、「落ち」を付ける事が出来れば、すべて笑い話。感情に振り回されず、目の前で起こる事を面白がる。なんだか偉そうに感じるかもしれませんが、私も日々鍛錬中です。
結局、自分自身と向き合う事が一番重要だと考えています。
40歳を過ぎて分かった事ですが、10代より20代、20代より30代が経験値も多く獲得でき、面白いと感じました。そして40代はもっと面白くなっています。
しかし、20代の方が圧倒的に行動しても疲れませんでした。まず何かしたいなら、体力が有り余っているうちに行動しまくる事をオススメします。