INTERVIEW
SUZUKI TOSHIRO

鈴木寿郎

一般財団法人JASPEC 代表理事 https://jaspec.jp/

略歴

明治学院大学社会学部社会福祉学科卒業。1982年(社福)東京コロニー入社、職業リハビリテーション事業に従事。1990年、株式会社日刊工業新聞社に転じ、事業企画・事業開発に従事。1999年車いす姿勢保持協会常務理事・事務局長に就任。2004年日本福祉用具評価センターを設立し企画部長・管理部長・センター長・副理事長を歴任。主要著書に「日本における福祉用具の評価体制(日本義肢装具学会誌)」、「福祉用具の工学的評価 福祉用具の臨床的評価(作業療法ジャーナル別冊)」などがある。経済産業省「国際標準化推進事業(戦略的国際標準化加速事業(国際標準共同研究開発事業:福祉用具(車いす座位変換機能等)に関する標準化))」において共同研究代表者、厚生労働省「福祉用具の臨床的評価実施等事業において分担評価機関責任者」などを歴任。2022年6月一般社団法人日本福祉用具評価センター総会において、副理事長退任。同年7月、一般財団法人JASPEC設立。代表理事に就任し、現在に至る。

-現在の仕事についた経緯-

高校生当時、通学の乗換駅で障害者の姿を目にし、「気持ち悪い」と思いました。一方で、何故、そう思うのかを自問自答した結果、「知らないから」だと考え、社会福祉学科のある大学に進学しました。
卒業後の就職先は「授産施設」。業務内容は、障害者が残存機能を道具で補完して各工程に従事する印刷業の営業職でした。
写植機等は操作する方の障害に応じた工夫がされていたため、研究機関がよく見学に訪れました。障害者が働く環境が変わる期待を持ちましたが、同時に自らも発信する必要があると考え、新聞社に転じました。その新聞社で車椅子の工業会幹部と知己になり、その事務局に転じました。
この当時、車椅子の事故が大きく報道されたため、安全性を確保するための製品試験所を立ち上げました。

-仕事へのこだわり-

授産施設入社当時、現場の上司は脳性麻痺の障害を持った方でした。最初の仕事で、お客様からの校正済み原稿をどこかに置き忘れ、その旨をその上司に報告しました。その時、言われた一言が今でも仕事をする姿勢の原点になっています。
その一言とは、「お前さんは健常者だろう。俺たちは限りある能力を100%使っても、お前さんの能力にはかなわない。でもな、お前さんが持っている能力を100%使わなければ、俺たちよりも劣るのだよ。一生懸命やった結果が失敗だったら仕方ないが、今回はお前さんが持っている能力を少ししか発揮しなかった結果のミスだ。仕事というのは、持っている能力を100%出すことだ」というものです。
仕事どころか生きることにすら、健常者よりも苦労しなければならない彼の生き様に触れ、自分を恥じたことを鮮明に覚えています。
最終的には営業中に立ち寄った公衆電話ボックス内に原稿はあり、事なきを得たのですが、それ以降、本来持っている能力があるのなら、その能力を100%使うことを肝に銘じています。
また、誰かにできることは、自分も努力すればできるはずという信念も得ました。

-若者へのメッセージ-

ライブやコンサートで「MC」という曲間の「しゃべり」があります。この「MC」とは“メインキャスター”や“マイクチェック”の略語ではありません。
では、何の略語か。
正しくはMaster of Ceremonyの略語です。日本語に訳すと進行役あるいは司会者です。つまり、そのイベントを仕切ってスムーズに進行する役割を担う人のことです。転じて、ライブなどでは曲の紹介だけでなく、ライブ自体を仕切る・ライブの客を盛上げる役割をする「しゃべり」をMCと呼んでいるのです。
司会者とは、読んで字のごとく「会を司る者」であり、仕会者(会に仕える者)ではありません。
では、仕事はどうでしょうか。
現在の表記は「事に仕える」と書きます。昭和時代のサラリーマンは、それでも良かったかもしれませんが、多分おもしろくなかったのではないでしょうか。
若い方には、仕事ではなく、ご自分がやりたい「事」を見つけ、その「事」を司る「司事」をしてほしいと思っています。
そして、たとえ好きな「事」を司っていても、それを阻む壁やアンチテーゼはあると思います。その時は大いに悩み・迷ってほしい。ただ、芯となる「事」だけは見失わないでほしいです。