INTERVIEW
SUGIHARA RYOMA

杉原龍馬

リトルアスリート株式会社 代表 https://littleathlete.jp/

略歴

1995年に成蹊大学を卒業し、Jリーグ横浜フリューゲルスにゴールキーパーとして入団。1997年、契約満了に伴い引退。その後アルバイトから金融業界に入り、株式部門に所属。2003年に米国留学のため退職し、2005年にViriginia大学Darden School of BusinessにてMBAを取得。卒業後は米系投資銀行のNY本社に2011年まで勤務し、日本に帰国する。2014年に仏系投資銀行に転職し、2017年からはテレビ東京モーニングサテライト出演や日経新聞等へのマーケットコメント提供などメディア出演も経験。2019年に管理職として米系大手指数会社に転職し、営業責任者として3年半勤める。2023年に国家資格であるキャリアコンサルタントを取得し退職。同年アスリート向けのキャリアコンサルタント会社であるリトルアスリート株式会社を設立し、代表を務める。

-現在の仕事についた経緯-

MBAのEntrepreneurshipの授業で、将来起業するならどの様な事業を立ち上げるかという課題に取り組んだ時に、初めて自分が本当にやりたいことを考えました。それまでは好き嫌いではなく、必死に仕事に取り組むというスタンスでしたが、自分がやりたいこと・自分にしか出来ないことを考えた時、アスリートへのキャリア支援がビジネスプランとして形になったと記憶しています。
元々は独立・起業には興味がありませんでしたが、50歳を過ぎて挑戦するなら年齢的にも今しかないと思い、リトルアスリートを設立し、代表を務めています。

-仕事へのこだわり-

Jリーグを引退して金融業界に入った時は時給1000円のアルバイトからで、その頃は仕事のスタイルというより、とにかくこの仕事を失ったら喰っていけないという気持ちで毎日を過ごしていました。
グローバルの株式取引を担当する部署に配属され、仕事は山の様にありましたが、分からないことばかりでした。とにかく人に聞いてメモを取ってやってみて失敗しての繰り返しで、平日は朝から晩まで会社にいたと記憶しています(土日はお休みでした)。経験と共に出来ることも増え、徐々に社内でも評価されるようになりましたが、いつも“結果を出さなければ職を失う”というプレッシャーと向き合っていた気がします。今では笑い話ですが、結果的には24歳でJリーグをクビになった経験があったので、このプレッシャーも受け入れることが出来たと思います。
その後は管理職となったことで、“結果を出さなければクビ”というプレッシャーが“チーム全体のパフォーマンスをどうやって引き上げるか”というプレッシャーに変わり、3年半で5名から12名に拡大したチームをどうManageするかを悩み考えながらも走り、模索する日々を送りました。
その経験を踏まえて今の仕事のスタイルを問われると、基本に戻って“真剣に一生懸命取り組む”だと思います。仕事である以上は自身がその業務のプロであり、真剣に一生懸命取り組むのは当然です。一方で仕事は毎日続きます。毎日真剣に一生懸命取り組むのはとても大変なことです。だからこそ、真剣に一生懸命取り組む姿勢は評価されると考えています。
スポーツも仕事も真剣勝負です。勝負事はルールを守って真剣に一生懸命やるから、面白いし美しいのです。だから“真剣に一生懸命取り組む”のが私の仕事のスタイルです。

-若者へのメッセージ-

若い方々へのアドバイスは“柔軟な思考を持つ”ことです。私は結果的に変化の多いキャリアを歩み、その過程で自身の考え方も大きく変わりました。人生・キャリアでは自身の置かれている環境に適応する為に、考え方や常識を見直す必要に迫られることがあります。場合によっては受け入れ難い変化を強要されることもあるはずです。これからキャリアを構築する若い方々がこの様な状況に直面した時、“納得はしないけれど理解はしてみよう”という柔軟な思考で対処することで、視野が広がり変化を消化しやすくなると思います。
また私の個人的な意見ですが、やらずに後悔するよりやって後悔した方が納得が出来ると思います。自身がやりたいこと、情熱を傾けることがあったらぜひ実行してみてください。人生・キャリアは重ねていくほどに失う物が多くなり、実行し難くなります。将来、“あの時やっておけば良かった”と後悔するならば、思い切って実行する方が良いです。結果はどうあれ、実行することで今まで見えなかった物が見えることが多々あります。
人生は長く、失敗しても必ずまたチャンスは来ます。Destiny belongs to the Underdog(運命は弱者に味方する)、若い方々の活躍に期待しています。