書道家。六歳より書をはじめる。書の本場奈良で三年間研鑽を積んだのち東京へ。書を用い、文字をイメージ表現・表情・感情をつけ情報としての文字に意思を吹き込む。そして日本の伝統的な書を、世界に通用する「意思を表現する」手段として世界を舞台に発信している。
略歴
書の道を天職としていく
両親や祖父母が教育熱心だったこともあり、私は幼い頃から日本舞踊やピアノ、バイオリンなど、様々なお稽古事を習ってきました。日本舞踊を習い始める際には、わざわざ京都の家元に来ていただき、お稽古を付けていただくなど、非常に恵まれた環境で育ったと今でも感謝しています。
そんな中、書を習い始めたのは6歳の時。先生は良い意味で何事にも厳しく接してくださるような方で、その甲斐もあり教え子たちの上達は私から見ても目を見張るものがあったと思います。しかし書には、人それぞれに生まれ持った才能やセンスが問われる側面もありますし、そうした能力をさらに昇華できるよう努力を続けていかなければいけません。私自身も子どもながらにそんな事を考え、自身の才能を模索しながら、常に厳しい環境の中で学びを続けてきました。
しかし高校時代には将来を見据え、もともと得意としていた絵をもっと学んでみたいと、芸大や美大への進学を視野に入れていたこともあります。しかし予備校が遠距離であったこと、先生から「画家として食べていくのは難しい」と言われたことがきっかけで、簡単に自分の夢を諦めてしまいました。その時の選択は、今でも悔いに残っています。
それから大学進学を機に地元からも書の世界からも離れ、卒業後にはOLとして社会人生活をスタートさせました。しかし3年ほどが経った頃、「書こそが私の天職だ」と考えるようになったのです。きっと書から離れてしまったことで、そうした気付きを得たのかもしれません。それが自分の生きる道を決定づけたタイミングでもありました。
世に生を得るは事を成すにあり
現在はチームラボとのコラボなど、様々な分野との接点を通じて書を創造し、世界に向けて「日本」を発信させていただくような機会も増えました。失敗や挫折を経験することもありましたが、産業や文化といった既存の力をうまく掛け合わせながら、作品を通じて少しずつ書を身近に感じていただけるようになったのではないかと実感しています。
今後も日本画を踏襲したアニメーションや書を活用したメディアアートなど、多様な形で日本を発信していければと思っているところです。
書には6つの書体があり、それと同時に書道家にも色々な作風や個性があります。古典を臨書してより美しい正統派な書体を踏襲して書いていく人もいれば、自分の字としてオリジナルのタッチを生み出し、それを書き続ける人もいるでしょう。私自身は表現に捉われず、その時々に表現したいことと表現物を矛盾させず、常に力を持った書を生んでいければと考えてきました。
例えば「命」という漢字がありますが、コンピュータで作られたような無機質な書で表すのではなく、力強くエネルギッシュな命や生まれたばかりの命、余命わずかな命など、あらゆる感情を書き分けられるような書を生んでいきたいと思っています。
デジタルの普及により書くことに不慣れになって久しい今の時代、書は難しい、不得意だという方も多いでしょう。しかし生身の人間が書いた書は、番組や映画のタイトル、商品パッケージなどでも使われたり、実は皆さんの身近にあるものです。あらゆる場面で必要とされてきました。だからこそ、あまり敬遠せずに書に親しんでほしいと思うのです。
「世に生を得るは事を成すにあり」という坂本龍馬の言葉をご存知でしょうか。この世に生を受けた以上は誰しも何かしら成すべきことがあり、大事を成していくという意味だそうです。私も今振り返ってみても、幼い頃からずっと自分が成すべきことを探し続けてきたように思います。将来はどんな人になりたいのか?どんな人生を送り何をすべきなのか?ということを問い続けてきました。そして私にとって書というものが、自分の成すべきことであり、自分を表現する上でもっとも適切な手段だと知りました。これからも書の道を極め続けて、多くの方々の心に届けていければと思っています。