INTERVIEW
SATO MASAHIRO

佐藤政博

ピーシーネット株式会社 代表取締役 https://www.pcn-j.co.jp/

略歴

専修大学商学部会計学科卒業。新卒で個人事業の会計事務所に入所、その後、複数の公認会計事務所などで中小企業の経営サポートに従事。他業種の中小企業を経験したのち、富士ソフト株式会社に入社。店頭公開から二部上場、一部上場の推進責任者を経験。その後、独立して現ピーシーネット株式会社を設立し、現在に至る。

-現在の仕事についた経緯-

私の経歴から分かりますが、中小企業との関わりが多く、富士ソフト株式会社を一部上場までのミッッションをやり遂げた時点で、次は自分が望む社会貢献事業を作りたいと思い、退職を決意しました。

-仕事へのこだわり-

私は、新卒から会計士を目指して会計士事務所に入所致しましたが、現実は当時会計事務所は丁稚奉公並みの待遇で江戸時代にタイムスリップした様でした。
仕事内容は、毎日青刷りコピーを数時間と清掃、集計業務、時には事務所家庭の洗濯物の取り込み、しかし、半年経過すると、顧客の中小企業の監査をする事になり、中小企業の経営者と会話する機会が出て会社経営に興味が出てきました。
当時の経験が、いずれ自分で会社を経営したい思いを募らせました。
富士ソフト時代は、入社数日後大きなミッションを社長から直接話があり驚きましたが、上場申請を良く知らないので軽く考えていた記憶があります。
社員360人ほどの会社から上場後1万人近くの会社、今思えば夢のような急成長を遂げていました。
当時経理部の統括責任と上場事務、社外関係者との交渉等を任されて、帰宅する時間もなくなり、会社近くの単身赴任の日々でした。今思えば信じがたい環境でした。
前職での最後の仕事は、広報室長としてインベスターリレーション(IR)を担当し海外投資家に向けて会社の事を説明するという日々で平均1日4件も対応していました。
またロボット大会の地方予選の手伝いで数日前から取材依頼のビラ配りをすることもありました。
2000年、50歳を機に社長に今後の計画をお伝えしご了解の上、起業致しました。
これまでの私の経験は現在180度違って驚きますが、逆に違い過ぎて違和感を感じなく、協調する為に何が大切か、どんな環境が良いか、どのようか行動が良いか等考えているのが楽しみにもなります。
将来に向けて、リモート、在宅、社外どこでも仕事の環境に出来る時代に移行して行きます。
当社も本社が社員在宅勤務の実施で本社スペースを半分以下にしました。
社員の本社勤務は交代で行い情報も複数の通信システム、会議システム、WEBシステム活用でリモートが普通に活用しています。
究極は、全国都市に本社が移転巡回出来たら楽しい会社に出来るかも知れません。
社員は、一度は本社に勤務したいと思うかもしれませんね!
未来は楽しく仕事するのが夢です。今も仕事は楽しいですが!

-若者へのメッセージ-

近年は様々な情報が多く更に増え続けています。若者は情報を検索、通信、蓄積する事が日常茶飯事です。
知りたいことは何でも携帯をタッチすれば回答が得られます。
すると、考えて思い出す、新たな発想を生み出す、等の習慣、能力、記憶力などの人間の力が失なわれて行くように感じます。
出来るだけ、人と人の会話、行動、遊び、スポーツ、趣味、などで人としての魅力をつけて生きては如何でしょうか?
若い内は失敗何でも肥料、いずれ自分を支える力となります。