INTERVIEW
OOHIRA MIKI

大平美樹

合同会社mo2 役員 https://lit.link/mikioohira

略歴

1964年東京都生まれ。父方の祖父が欧州人のクウォーター。高校卒業後「シュウウエムラメイクアップスクール」に入学し『シュウウエムラ』本人より直接メイクアップの指導を受ける。11年メイク講師を務めた後、出産を機に退社。7年後、開発言語「C」を独学で習得。金融系システムエンジニアに転身。約14年IT業界で開発から法人営業まで幅広く従事。50歳を機にメイク業界に復帰。オトナ女性向けに「今の自分にとって最高の綺麗」を引き出すメイクアップスクール、個人レッスンを開催。また「シュウウエムラ」時代に叩き込まれた『眉』のメイクに特化し『二度見される眉になる』をキャッチコピーに『美人眉クリエイター』として活動開始。2020年、ミスコンテスト、ミセスコンテストビューティーキャンプ講師となる。同年に法人化「合同会社mo2」を設立。

現在の仕事についた経緯

私は4歳の頃から画家の先生に絵画を習っていて、将来は美大に進み絵の仕事をやってみたいと考えていました。しかし高校卒業間近に「メイクアップアーティスト」という職業がある事を知り、衝撃を受けました。「化粧品販売ではなくメイクをする事が職業になるなんて!」と思いました。
当時、化粧品業界は今では考えられないくらい社会的地位が低かったのですが、私にはとても魅力的な職業に映りました。新しいもん好きな私は「絶対メイクアップアーティストになりたい!」そう強く思い、当時の第一人者である「シュウウエムラ」の主宰するメイクアップスクールに入学しました。
メイクは私にとって「お絵かき」の延長だったのかもしれません。シュウウエムラメイクアップスクール卒業後はそのまま「シュウウエムラ化粧品」(当時)に入社し、店舗スタッフに向けてメイク講師を11年行いました。

仕事へのこだわり

シュウウエムラからメイクを直接学んでいた時「メイクアップアーティストは美を作り出す者。だから用具の扱い方、所作、ゴミの処理等全てが美しくなくてはならない。そこまで心配りが出来て初めて美が生まれる。」という精神を強く叩き込まれました。これは今でも私のメイクの基礎となっています。
私はクウォーターなので子供の頃から「派手な顔」がコンプレックスでした。だから目立たぬ様に笑わない子供でした。ずっとずっと自分の顔が大嫌いで目立ちたくありませんでした。
大人になりメイクレッスンを開催したての頃、あるご年配の生徒様に「先生は華やかで素敵なお顔立ちですね」とお褒めいただきました。その方のお言葉があまりにも愛に溢れていて、思わず「ありがとうございます」と答えていました。
その時「あっ!自分の嫌いな顔をを褒めて下さるなんて…もしかしたら自分のコンプレックスは誰かの「憧れ」なんじゃないか」と思いました。日本の女性は謙虚な方が多く、ご自身のお顔の事を伺うと「目が小さいから」「顔が長いから」「鼻が低いから」と嫌な部分の事からお話しになられます。そんな時は、私のこのコンプレックスの話をさせて頂いています。
私は女性は考え方ひとつでいつからでもいくつからでも必ず綺麗になれると思います。「女性は50歳で目覚め60歳で花開く」そんな女性を増やしていく事が私の使命でありテーマです。私自身、来年60歳になりますが楽しみでなりません。お若い方が「歳を取るってカッコ良くなる事なんだな。早く歳を取りたいな。」と思って頂けたら最高に嬉しいです。

若者へのメッセージ

自分の「夢」を簡単に諦めないで欲しいです。
一見回り道や、夢に関係ないと思われる事が実は大切だったり武器になったりする事があります。
私自身メイクの道を一旦は諦めて、全くの畑違いのシステムエンジニアを14年以上やっていた頃は「もうメイク講師はしないだろう」と思っていました。でも心のどこかで「メイクが好き」という気持ちはありました。だから自分自身の気持ちを「棚卸」した時に、「メイクが好き」という気持ちに気付かされ、50歳を過ぎてからメイクの仕事に復帰出来ました。
美容の世界では「この道○○年」という先生が多い中、私の経験年数はちょっと寂しく見えますが、そのぶん他の業種を経験している事が、今の私の武器になっています。
人生無駄な事なんてないです!どん底に落ちて号泣する事も、裏切られて失望する事も、大失敗して絶望する事も、何もかも嫌になり一歩も歩けなくなる事も、全てが学びで全てが必ず乗り越えられる出来事です。
チャンスは必ず訪れます。そのチャンスに巡り逢うのに時間がかかるかもしれませんが、必ず訪れます。
私は50歳を過ぎてから訪れました。まだまだビッグチャンスは到来する!と信じて、夢を追いかけています。59歳で夢を諦めるなんて早すぎるなって本当に思います。