INTERVIEW
OKAYAMA JUN

岡山潤

株式会社NeonFuture 代表取締役 https://www.neonfuture.world/

略歴

1981年 北海道標津郡中標津町生まれ。幼稚園の頃のあだ名は「番長」(苦笑)。
札幌北高校→中央大学特待入学(在学中 国際空手道連盟極真会館の関東大学生大会にて個人戦/団体戦 共に優勝。極真空手を17歳から習い始め、42歳になる現在も継続中)を経て、2006年4月 株式会社インテリジェンスに入社。同期300人の中、入社1年半で同期内最短昇進最高報酬を得る。
2009年8月に当時創業3期目の株式会社リブセンスに入社し社長室に就任。1人で1事業部を立ち上げ、1事業で年商2億円、経常利益1億8,000万円の事業に育てる。株式会社リブセンスは2010年、当時の東証マザーズに上場し、翌年2011年に東証1部上場する。2012年からは株式会社リクルートの事業会社に転職し、その後2014年7月に独立。
独立後は個人事業主として東京のスタートアップ系企業の顧問業を多数兼務。
2014年から株式会社PkshaTechnologyの黎明期よりビジネスサイドのリードを行い、事業開発に従事。株式会社PkshaTechnologyは2017年、当時の東証マザーズに上場。
2018年以降は旅人となり日本全国並びに世界各国を放浪しビジネスの種を探る。2020年以降コロナ禍では東京都浅草を拠点に自粛活動に従事。コロナ禍が明けた2023年以降、地元北海道にて創業の準備中。

-現在の仕事についた経緯-

社会人になった2006年から2014年まで延べ7年半はサラリーマンとして活動を行いました。理由は、日本人のほぼ全てが大学卒業後に進む道であったからです。
社会を何も知らない頃はまずは社会を知ろう、ビジネスを知ろうと、ビジネスは営業ファーストだという言葉を信じて就職活動中の2005年当時、東京で最もイケてると感じた営業会社 株式会社インテリジェンスに飛び込みました。
そこでビジネスの「ビ」の字を理解した後、資本主義経済に於いて大きなお祭り事であるIPOを経験したく(実際には勝負の始まりのイベントなのですが)、また2009年当時時代はITだとの思いから、上場フェーズのITベンチャー企業であった株式会社リブセンスに転職。
その後東証マザーズ、東証1部上場の社内を体験し、羽休めのリクルートを経て独立。子供の頃の強烈な成功体験は常に胸の奥にあり、世の中に対して大きな事を自分は成せるとの想いをいつも持ちつつ様々な活動を行ってきました。
同時に日本国内はほぼ全て旅をして周り、世界も気になる国・場所には大体赴き、沢山の同士と知見をを得られたと感じております。
今、生まれ育った地である「北海道」で新しい事業を始めようと思う理由は2つで、一つは自分の血であるから。もう一つは、私が感じる限り日本国内で最もホットなマーケットが広がっていると感じているからになります。
この2つの理由から、敢えて首都ではない「北海道」から事業の開発を行っている段階にあります。

-仕事へのこだわり-

「何の為にやるか」が一番大切だと考えています。
同時に「誰を助けたいか」。
僕が東京の兄さんと呼び続けている某東京の派遣会社の創業社長が僕に言ってくれていました。
“潤、お前は何がしたいんだ?いいか。事業は誰の何を解決するかだからな。お前が誰を助けたいかだよ。”
その言葉に本質があります。
仕事は何の為にするのか。誰を助けたいのか。
抽象度が非常に高い言葉になってしまいますが、社会の課題を解決して、より良い社会を創る事に貢献する、困っている人のお力になる、それが私が仕事をする理由/目的になります。

-若者へのメッセージ-

「若者」とは誰を指すのかは曖昧ですが、“社会経験が豊富ではなく自分が何を行えばいいのかわからなくて迷っている人”を若者とするのであれば、そういう方に僕から言えることは、「自分を信じなさい。そうして自分に高い評価を与えなさい。」ということですね。
周りの評価は特に気にしなくていい。貴方が自分が信じる道を進んでいるならば。
Amazon創業者のジェフ・ベゾス氏が言っていた「世の中はあなたを普通の人にしようと圧力をかける。それを跳ね除けるのは並大抵の努力ではない。」という言葉に真理が流れていると思います。
だから、「若者よ、周りの目を気にするな、それはほとんど全てが嫉妬でしかないから、君が信じる道を進みなさい。君が君を信じられる限りは。」
特に時代は日本では「令和」になり、ますます“みんな一緒”から“個の時代”に突入していると感じています。
このような時勢だからこそ、自分を信じて強みの上に自己を築くことが何よりも大切になると私は考えています。