INTERVIEW
NISHIKAWA MITSUO

西川三男

フォトビジョングループみっちゃん 代表 https://photovisiongroup.net/

略歴

中学・高校と吹奏楽でクラリネットやサクスホンなどを演奏し、工業高校電気科卒業後は、好きな電機、音響メーカであり、吹奏楽団に力を入れて募集していたSONYに入社。精密機器のマイクロモータの事業部で、設計や海外事業所の立ち上げなどを経験。吹奏楽も15年ほど継続して、日本国内イベントや、アメリカのディズニーランド、台湾松下などの演奏旅行などに参加。東南アジア出張も多く、台湾、中国など海外赴任も経験し、2003年以降は、SONYで液晶デスプレイの業務に移動。のちに、日立、松下、東芝などの日本の電機メーカ技術者が集結した液晶連合のメーカ(ジャパンディスプレイ)に転籍し、2016年定年退職。その後、中国のモータメーカの技術顧問としてベトナム工場に赴任。約2年従事したのち、帰国。2021年にフォトグラファーの学校を受講し、8月からカメラマンとなる。写真撮影、動画撮影のフォトビジョングループみっちゃんを立ち上げ、スクール関係、家族写真、七五三などの家族記念撮影を主に行う。日本フォトグラファー協会会員。

-現在の仕事についた経緯-

SONYとジャパンディスプレイのエンジニアを62歳まで経験しましたが、「このまま65歳からの年金を待つ生活では、元来怠け者である私はダレた生活になる」と思っていました。
そのため、技術者としての海外経験を生かし、海外メーカ求人サイトにて求職し、1~2ヶ月で何社かコンタクトがあり、たまたまマッチングしたヘッドハンターからの誘いで、中国No1のモータメーカWoolong社が立ち上げ中の、ベトナムハイフォン工場の顧問に就任しました。長年経験してきたSONYでのマイクロモータの設計、生産技術、海外経験が活かせるということで赴任し、中国と、ベトナムを行き来する日が続きました。
しかし約1年後、コロナが蔓延し、計画が遅延し始め、先の展望が見えにくい状況が続いたため、2年経過前に日本に帰国できるタイミングで退職しました。
その後、約半年はサンデーを毎日しながら、コロナ禍の中カメラを買い替え、趣味の写真を極めたいと感じ、フォトグラファーのセミナーを受講しました。カメラマンとして年齢、経験によらずに副業的に収入を得られればと思っていました。
これまであまり接点をもてなかった子供の孫たちが七五三迎える時期だったので、自分の手で記念写真を撮ってあげたいという思いが湧いてきて、友人が得意にしていた動画、撮影編集と写真撮影を受ける事業として開始しました。

-仕事へのこだわり-

サラリーマンの新人時代は、まだ週休1日、毎日残業、休日出勤が当たり前のような時代で、JAPAN AS No1と言われ始め、特に日本の車、電機メーカ、商社などは世界を席巻する勢いでした。
その中で、ビジネスに対するマインド、経営、問題解決手法などは、日本の品質管理なども含め、会社が研修などで欧米の先進的な手法を取り入れており、得るものがたくさんありました。
個人的には仕事への取り組み姿勢として、同業他社でも、「誰かが同じことをやっている、考えている人がいる。」と思うようにしており、既知の知識を踏まえた上でその先のアイデアを早く実行する、そして失敗するならそれを早く経験して、修正するということが肝心だと感じていました。
失敗は、諦めなければ成功への経験の積み重ねになります。会社としては致命的にならない配慮、リスク対策を考えながらになりますが、個人事業であれば、本人が決断し、先人に学ぶ、つまり最近よく言われるTTP(徹底的にぱくる)をすれば効率良く成功に繋がります。
失敗しても経験として得る方が多いですから、「死ぬようなことでなければ」と考え、積極的になる方がいいかと思います。

-若者へのメッセージ-

どんな仕事でも1年間真剣に頑張ってみれば経験として無駄になることはないので、嫌だから辛いからとすぐ逃げる、やめるというのは賛成できません。
どんな仕事でも、社会で必要とされ成り立っていますし、社長でも、アルバイトでも、職業に優劣はないと自信を持っていれば、やりがいは自分のやりよう、考え方次第です。頑張る姿には、必ず助けてくれる仲間が出てきますし、仕事でも趣味でもそういう仲間が人生の最大の財産になると思います。
そして仕事としては、その道を極めてプロになって一生涯やれるか考え、もし他の夢があるなら、その時点で次のステップを具体的に考えていくのがいいと思います。
目の前に目標がまだ明確にないなら、今の仕事にまずは本気になって、社長になったつもりのマインドでやっていくことが大事だと思います。