INTERVIEW
NELSON SATOKO

ネルソン聡子

RAY translation Academy & Community 代表 https://www.raytranslation.jp/

略歴

大学卒業後、映画配給会社に就職し、営業の傍ら作品のシノプシス翻訳や作品自体の翻訳を経験する。その後は自分の世界を広げようと海外とのプロジェクトを行う会社に転職、プレスリリース等の翻訳、PRやマーケティングを担当。教育関連の仕事に携わった後フリーランスに転向。2013年より改めて翻訳業を開始し映像翻訳を中心に出版翻訳なども手掛ける。翻訳者及び翻訳講師として働く中で、翻訳業界や翻訳学校の仕組みに疑問を持ち、2022年にRAY trasnlation Academy&Communityを設立。翻訳者として仕事をする傍ら、「学んで終わり」ではない新しいかたちの翻訳学校(Academy)と、互いにつながり学びや仕事の可能性を広げる場(Community)を運営している。

現在の仕事についた経緯は?

RAY translation Academy & Communityは、これからの翻訳者の生き方や働き方に対する一つの提案であり、新しい選択肢として生まれました。
グローバル化やパンデミックによる生活への変化は著しく、海外へ進出する企業、翻訳を学びたい人、翻訳エージェントの数、どれもが増加しています。また昨今では、技術の進歩による自動翻訳も注目を集めています。自動翻訳に関する見解は割愛しますが、このような流れの中で価格競争が起こっているのは事実であり、翻訳者に対する報酬も年々減少しているのです。この現状は翻訳者にとって嬉しいものではありません。
また以前、別の会社で翻訳講師をしていた際に、翻訳者になりたい人がコースを受講した後のサポートがかなり手薄だなという印象を持ちました。学んだ後は自力で頑張ってね、という感じです。ですが、受講者の話を聞いてみると、翻訳のスキルを学んだ後にどうやって翻訳者としての足がかりを見つけていくのか、というところに悩んでいる人たちが多くいたのです。
翻訳者が価格競争の中で疲弊するのではなく、自分たちから動き、仕事の打診を待つ以外の選択肢をつくりたい。翻訳を学ぶ人たちが翻訳者として第一歩を踏み出すまでサポートしたい。そこから、「学んで終わり」ではない新しいかたちの翻訳学校(Academy)と、互いにつながり学びや仕事の可能性を広げる場(Community)の運営を始めました。

仕事へのこだわり

仕事を始めた頃は、こだわりも何もなかったと思います。ただ、ちょっとした違和感はありました。最初に就職した会社が小規模の映画配給会社だったのですが、当時はVHS、そしてDVDが出始めた頃で、今のように配信される動画を視聴するというシステム自体ありませんでした。そのため、劇場公開されない映画はレンタルビデオ屋さんに行って借りるという仕組みでした。
自社で買い付けた作品をレンタルビデオ屋さん(正確には、レンタルビデオ屋さんに卸す会社)に買ってもらおうと色々と試行錯誤をするのですが、売れるようにという考えが強く出てしまうこともあり、そこに何かモヤモヤしたものを感じていました。劇場公開の作品ではない場合はパッケージのデザインで人の目を引かないといけないので、アクション映画での爆発シーンがド派手なものではなくても、それっぽいデザインにしていました。人間関係は良い職場だったのですが、少しずつ自分の理想とやっていることが一致しなくなっていく感覚を覚えました。
今思うと、自分の中にあった違和感にかろうじて蓋をしなかったことが、今に繋がっているのかもしれません。バイトを含め色々な仕事を経験してきましたが、その中では、感じた違和感を見て見ぬ振りする時期もありました。でも、それが常態化してしまうと、自分が何をしたいのか/したかったのかが分からなくなってしまうのです。そうなると表面的に取り繕おうとするのですが、結局うまくいかない。
翻訳も同じです。こういう意味だろうと思い込みで訳したり、自分が翻訳した文章に感じた違和感をスルーしたりして、どうにか読めるようにしようとパズルのように文章や文字を当てはめてみても、絶対にうまくいきません。物事に対しても人とコミュニケーションをする時でも、その違和感のアンテナはいつも立っているようにしたいと思っています。

若者へのメッセージ

成功者ではないのでアドバイスなどおこがましいのですが、数多くの私の失敗談から思うのは、「人に共感しようと努力すればするほど、人生も仕事も豊かになる」ということです。
共感するというのは、sympathy(他者の不幸や不運な状態や状況を思いやること)ではなく、empathy(想像力を働かせ他者の気持ちや状態、状況を理解する能力)です。辞書を引くとどちらも「共感」と日本語で書いてあるので混乱しますが、意味は全く違います。どんなメールを書いていつ送信するのか、ということにもempathyは必要ですし、誰かと議論や言い争いになった時にもempathyがあれば、平行線で終わるのではなく新しい道が開けるはずです。
empathyを磨くのは大変ですが、磨けば磨いた分だけ自分が成長しますし、そこに関わってくれる/くれた人たちとの関係も発展し、まわりまわって必ず自分に返ってきます。私自身も、それを忘れずに今後も事業に取り組んでいきたいと思っています。