INTERVIEW
NAKAJIMA JUNICHI

中島純一

株式会社環境・エネルギー技術研究所 代表取締役 https://kan-enegiken.com/

略歴

名古屋大学理学部化学科卒業。その後、1年半ボランティアの宣教師として九州へ赴任。帰還後光洋精工株式会社(現(株)ジェイテクト)研究部で研究員として3年間勤務。三浦工業株式会社に入社し、水処理薬剤および水処理技術の開発を担当して32年勤務。定年退職後、(株)環境・エネルギー技術研究所を創立。現在は、環境・エネルギー関連の研究開発とコンサルティングで活躍中。

-現在の仕事についた経緯-

三浦工業時代に水処理薬剤の原材料購入や、水処理に関する技術指導などで度々中国を訪問しており、その時に環境問題が深刻なのを見て、退職したら自分の身に着けてきた水処理や化学的な知識や技術を使って、中国に環境改善をして貢献したいと考えるようになりました。
この考えを3人の仲間に打ち明けたところ、賛同を得て、会社を設立することになりました。
会社設立直後から仲間の一人の紹介で中国に渡り、地方政府と環境改善の技術移転に関する契約を結んでこの政府に紹介してもらった企業を訪れ、環境調査を開始しました。

-仕事へのこだわり-

三浦工業入社時は、直に教えてくれる先輩もなく、何もかも自分で始める必要がありました。幸いその当時の三浦工業は何でも思ったことをやらせてくれる雰囲気と環境があったので、水処理の教科書を元に、先輩がつくってこられた水処理薬剤や水処理技術を一から調べて検討し、必要に応じて改善するという毎日でした。
自分は根っからの研究者・技術者でしたので、このような仕事を進めるのは楽しく、苦ではありませんでした。
後輩が配属されてからも、一緒に考え、一緒に進めるSTYLEでしたので、後輩は「もっと教えてくれ」と思っていたかもしれません。
数年経って主任の役職をいただいた時にも、上司に「私は研究と技術をやりたい。部下を管理する仕事を自分はやりたくない。」として、主任の役職を返納しようとしましたが、その時の上司は、「部下ができても自分の研究と技術の仕事は50%以上できる。君は会社からできる人として認められたのだから、喜んで受けるべきである。」と説得され、渋々引き受けました。
その後、役職が主任→研究員→次席研究員→主席研究員と上がっていく過程で指導した部下に与えるテーマは、課題、背景と出力して欲しい結果をしっかり説明し、定期的にフォローアップを行って成果を出すようにしてもらいました。
育てた部下は20人を超え、私よりも上の役職についた者も多くいます。そのうち3人は技術力を認められて米国勤務も経験しています。
会社を起業するにあたり、自分は「研究者・技術者」であり、経営者や資金調達をする能力が欠けていると感じてきましたが、現在、えひめベンチャー支援機構から、助言や人材派遣を受けて、この部分を補っていただいており、会社創立時とは次元の違う進歩を続けています。

-若者へのメッセージ-

日本は今、経済的な落ち込みから一流の国から外れかけており、社会を変革する革新的なアイデアや技術を持った人材が必要とされています。
日本人のノーベル賞の受賞者が続いていますが、これらの受賞者は、高度経済成長期に育んだ技術にもとづいて受賞しているのであり、今後、アイデア、技術を進めていく若い人材が多数出てくる必要があると強く感じています。
大学に在学している学生でも、起業を目指す学生はわずかで、大部分の学生は大企業や官公庁に就職する安定した道を目指しています。
大きく躍進する日本初のアイデアや技術により、日本の強さを取り戻し、ずっとノーベル賞受賞が日本から出続ける土壌を築く必要があると思うのです。
私は60歳からの起業で、その時には周りの支援はほとんどありませんでしたが、今、多くの大学で起業塾やベンチャー支援機構の仕組みが準備されつつあり、学生には恵まれた環境が整ってきています。
若いときの起業、ベンチャーは失うものは何もないので、積極的にチャレンジして欲しいと思います。
決断すべき時は今です。