INTERVIEW
MATSUYAMA TAKEYA

松山建也

かわせみ交通株式会社 代表取締役 https://www.kawasemikotsu.com/

略歴

埼玉県立大宮ろう学園高等部専攻科情報ビジネスコース修了。銀行会社や運輸企業(トラック)を経て、2017年10月にろう者で初のバス運転士として5年半乗務。現在は独立し、埼玉県西部地域にて路線バス設立を目指し準備を進める。

-現在の仕事についた経緯-

私は聴覚に障害があり、前々職の運輸企業では、これまでにろう者の受入れ経験が無い所に入社しました。会社として中々ドライバーが増えず困っている所に、「私と同じろう者を雇用してはどうか。」と提案しました。約20人のろう者がドライバーとして活躍し、人材不足解決に取り組みました。
2016年の道路交通法改正で、補聴器装着の条件で、バスなどの必要な運転免許取得が可能となりましたが、ろう者がバス運転士として活躍している情報がありませんでした。
トラックの経験を活かしてバス業界へ移ろうと思い、ろう者で全国初のバス運転士になりました。5年半乗務してきましたが、様々な壁があり、それを解消するべきと考え、独立。公共交通空白地域に参入し、地域の足となり支えていきたいと考えました。

-仕事へのこだわり-

小さい頃から人を運ぶ仕事(電車やバス)に関わりたいなと憧れていましたが、耳が聞こえない事が理由で、欠格条項で運転士になる事が出来ないと分かり、一度は諦めていました。
学生時代は様々な夢を描き、どんな道へ歩いていくか、色々彷徨っていたと思います。
現代では、様々な業界で活躍されているロールモデルとなるろう者がいて、その方々を目標に努力していきやすい良い環境になってきていると思います。しかし私たちの学生時代はそうではなかったのです。ろう者が出来る仕事の選択肢は限られており、夢に向かって熱心に取り組む人は少なかったと感じておりました。どんなに勉強を頑張って頭が良くなっても、第二種運転免許の取得や薬剤師の免許などは法律によって妨げられていたのです。
ろうあ運動のおかげで、これに関する免許取得方法に改正が入り取得出来る様になった現在では、目標を作る事が出来るようになったのです。

銀行会社から運輸会社へ転職した理由は、「戸建住宅に住みたい!」と思ったからです。給料が良い仕事へ転職しようと、運転に関わる仕事を目指し、中型免許を取って運輸会社に応募しました。ただ、障害者雇用枠で検索してもドライバーの募集がありませんでした。ろう者が実際にトラックドライバーとして働いている情報は少なく、一般の枠で調べると多くの会社が募集されていて、給与も良い状況でした。
耳にハンデがあるので荷先の方と会話方法はどうしていくかを考え、特技であるスピードのあるタイピングでやり取りが出来ればと思い、最初の1社目の運輸企業にはメールで応募しました。自前のタブレットPCを持ち込み、3時間も面接を続けた思い出があります。
ろう者の受入れ経験が無い会社で、どうやって仕事をしていくか、当時の上司は色々不安なようでした。しかし、目指している夢に対する熱心が伝わり、入社が決まりました。

それから1年後、大型免許を取り、中型車から大型車へキャリアアップし、一人で関東内各地へ運搬する事が出来る様になりました。この時、会社として中々新しいドライバーが増えない事に困っている状況にありました。上司に私のようなろう者を増やしてはどうかと提案し、試みとして5名まで募集していく許可を得て、SNSなどで募集していきました。
半年で5名集まり、入ってきた後輩の頑張りのおかげで、他営業所までろう者の雇用を認められ、1年半で約20人のろう者が集まりました。慢性的なドライバー不足問題だったのが劇的な変化で解決となり、取引先からも画期的な取り組みだと評価を頂き、新しい仕事も得られ、会社としての収益も増加しました。
休みが取りやすくなったり、配送センターの仕分け担当者が手話を覚えてくださったりなど、良い環境へ変わっていったと感じております。
夢だったマイホームも手に入れる事ができ、ろう者をマネジメントしていく為に係長の肩書まで任命されました。
電話や無線のやり取りが必要ということで、なかなか他の運輸会社では雇用して頂けず、関東内各地からやってくる人達が多くいました。「1年~3年かけて応募しても落ち続けていたので、ここでろう者でも募集しているとSNSで見かけて応募した。」「トラックドライバーの夢を叶える事が出来て嬉しい。」という声もありました。

バス運転士への転機となったのは、2016年4月に、ろうあ運動のおかげで道路交通法に改正が入った事です。バスやタクシーに必要な大型自動車第二種免許は、これまでは補聴器の装着でも取得出来ませんでしたが、クラクション音が聞こえれば取得出来る様に緩和となったのです。
全国各地のろう者がその免許を取得する事に成功したというニュースもありましたが、それから1年。バス会社に入り、バス運転士として活躍されているろう者の情報が出てきませんでした。免許は取れても就職する事が出来ない状況が続いておりました。
そこで私は、運輸会社の経験を活かし、バス業界へチャレンジし、パイオニアとして活躍して、バス運転士を目指す同じ仲間の為にも頑張っていきたいと覚悟を決めました。勤めていた会社を退職し、第二種免許を取得し、各バス会社へ応募しました。

複数のバス会社に応募してみましたが、どの会社でも同じような返答が来ました。お客様と会話が出来ない、無線のやり取りが必要など、コミュニケーション面で断られました。そのうち1社は、最初は落ちましたが、後に連絡がきて、再面接しました。社長は色を認識する事が出来ない障害を持っていて、過去になりたかった職に就けなかった事があり、それによって近親感を持ち、「どうやったら松山君の夢を叶えさせてあげられるか」と悩んでいたのです。
「最初は2人体制からスタートし、経験を積み重ねたら観光バスの仕事もやらせてあげたい」と、もう一度呼んでくれました。社長が考え直してくれたおかげで、2017年10月にろう者として全国初のバス運転士になる事が出来たのです。

入社後、赤羽駅~羽田空港を結ぶ羽田空港リムジンバスに車掌付の条件で乗務し始めました。SNSで知り、応援の為に乗ってくださる方も多くいて、その中に、「娘が難聴者で松山さんの存在が私たちの希望となります。」と声掛けて頂くこともありました。
その後、新設する東京~名古屋線の開通式に第一号運転士として会社から指名頂き、手話通訳者を派遣して式を進行して頂きました。
また、SNSで応援してくださる人達がバスツアーの企画を計画し、私を運転士として指名してくれました。念願だった観光バスの仕事を任せて頂き、これを機に聴覚障害者協会や手話サークル、ろう学校などからもオーダーして頂けるようになりました。
旅行会社が事前に「聞こえないお客様が中心です。」と、お土産店やレストランに伝えると、スタッフが筆談ボードで案内してくれたり、手話で対応してくれたりなど、嬉しい配慮もあり、お客様達に楽しんで頂けましたね。

3年目くらいになった時に、協会の会員でないことや、地域外の方ではこのバスツアーに参加したくても出来なくて困っている方が出てくるようになりました。そこで旅行会社と相談し、誰でも参加出来る一般募集型のバスツアー企画を作る事にしました。一般的な募集型では情報保障が付いていない所が多くあります。聞こえないお客様は情報がわからないと不安で楽しめないので、バスツアーに関心を持たない方が多かったのです。
手話通訳者が付いたバスツアーとして、主にろう者や手話学習者、興味のある方向けに募集し催行していく度に、評判が広まり、ろう者の世界の中ではバスツアーに興味を持っていただける方が増えました。

これまで良かった事を並べていてはいますが、中々上手くいかなかった面もあります。
バス会社に私以外にろう者が3名入社されました。しかし、2名体制で行っている夜行バス乗務のみが条件となっており、乗務出来る範囲が限られていたのです。
民間企業ですから、利益の事も考えていかなければならず、ワンマン運行で行っている高速便や貸切バスの業務を2名体制で行うにはコストが掛かる為、中々難しい状況でした。そして、当事者が「ワンマン運行で行いたい」などの希望を出しても会社としては安全の理由で出来なかったのです。
健常者の方は希望に合わせて仕事を引き受ける事が出来ますが、ろう者ではそれが出来ない。それが当事者にとって理不尽だと感じる事がありました。
それは、会社としての歴史が長く全国各地のグループ会社がある事で、独自のやり方だけでは変えられず、また、周りに理解して頂くのに時間が掛かるためです。
会社の将来を守っていくために安全を第一にしているので、何かあった時に問題が起きたら、全国各地のグループ会社まで影響してしまいます。

しかし私はろう者のパイオニアとして活躍して、バス運転士を目指すろう者の為に頑張っていきたいと覚悟を決めて入りました。道路交通法の改正から7年が経ち、バス運転士として活躍されているろう者は私が知る範囲では10名未満という結果…。他社バスでろう者が採用されない状況が続いている事や、2名体制が必要な条件に合わせると、選択肢が夜行バス運転士のみとなり、希望が薄まっている状況でした。
それを解決するには、独立し障害者当事者に合わせた環境を作っていき、聞こえる聞こえない、喋れる喋れないに関わらず、公共交通機関の一員として携われるバス会社を作るしかないと思いました。音声認識アプリやテレビ電話リレー、メール通達機能、手話など、情報保障を完備した環境にして、バスや鉄道もない本当に移動の面で困っている「公共交通空白地域」に参入し、私たちが地域の足となり支えていきたいと考えています。
将来は、観光バスや旅行会社部門も設立し、全国各地で活躍する現地手話ガイドや手話が出来る店員などのパイプを繋げ、地域活性化にも取り組みたいと思っています。よりバスツアーや旅行を楽しんで貰える人達が増えればと考えております。

国内では、まだ車いすユーザーがトラックやバスを操る姿を見た事が無いのですが、海外ではトラックを操る姿が見られます。将来は、バスも運転出来る様に改造していき、障害者の仕事への選択肢がより広がっていけばと思います。
それぞれの当事者がロールモデルとして活躍して、国内や海外の人々に希望を持って生活していけるようにして欲しいです。
世間では多様性を受け入れる環境に変わりつつあるのですが、障害者当事者として仕事の選択肢がまだまだ狭い業界ですので、それを切り通していく事がパイオニアとしての務めだと思います。

-若者へのメッセージ-

人生の道は1本のみではなく、途中で別の道へ行く事も出来ます。“失敗したら終わりだから挑戦しない”ではなく、失敗を恐れずに挑戦していく事が大切です。
変化が無ければ自分から行動し、アイデアを沢山作る事も必要です。
一番大事なのは、何のために働くか。それで幸せなのか。を考え、思い立ったら自分から行動する事です。待っていたら何もやってこない。それを考えられる人になって欲しいです。