INTERVIEW
KAWANO SEIJI

河野誠二

株式会社キョウエイ 代表取締役 https://www.kyouei.biz/

略歴

1975年生まれ。大分県出身。大分私立大分高校特進中退後、父から勘当され名古屋の建設会社に就職。1年間勤務後に18歳で建設会社を創業し、今年で30周年を迎える。現在はグループ4社で約56億の規模まで成長。

-現在の仕事についた経緯-

父から勘当された際に兄のツテをたどり、名古屋の建設会社を紹介してもらいました。地元を離れ寂しさのあまり実家へ電話するも、父から「一人前になるまでかけてくるな!」と電話を切られました。
そこで初めて退路が断たれた事で、「父を見返してやる」という思いが芽生えて一念発起します。父を見返すには父の会社を追い抜く事が必要だと起業を決意し、その会社で半年間板金工事、3ヶ月間断熱工事、3ヶ月間デッキ工事に従事しました。デッキ工事に出会い、「これだ!」と思い、3ヶ月で独立創業し現在に至ります。

-仕事へのこだわり-

新人時代が約1年しかなかった為、新人時代からどういうスタイルを築き上げてきたかというよりは、どのようにして1年で独立したかという部分になりますが、最初はKさんという親方の元について板金工事に従事しました。
父を見返してやるという思いが強かった為、早く認められたい、早く色んな仕事を任せてほしいと、17歳の若造でしたが親方には常に仕事に対する熱意を伝えていました。半年ほど経つと一通り仕事を覚えてきたので、他の職長との仕事の差を考えると給料はもう少し上がっても良いんじゃないかと思い、交渉しましたが認められませんでした。まあ、当たり前ですよね(笑)
しかし、私は諦めません。社長の家まで直談判しに行って、自分がどれだけ仕事を覚えて出来るかを何時間もPRしました。すると社長も根負けし「分かった。そこまで言うなら、いま5人の親方がいるが全員を認めさせたら、給料を希望の額まで上げてやる。」と言われたので、私は親方の元を離れ、各親方の仕事の応援という形で入り、3ヶ月間、人の倍働いて認めさせました。給料は入社時から9か月で1.3倍になりました。
その後、会社が業務拡大する為に独立者を募っており、3ヶ月間覚えたデッキ工事が肌に合っていた為、18歳でしたが応募しました。もちろん社長からは断られましたが、また何時間もかけて説得し、独立を認めてもらいました。
思い立ったが吉日ではないですが、何事も思っているだけでは何も始まらないので、目標を定めたら、とにかく行動を起こし、どんな壁があっても何年掛かっても必ずやり遂げます。行動に勝るものはなし、そんなスタイルですね。

-若者へのメッセージ-

私は過去、様々な失敗を経験しました。しかし、どんな困難にも負けずに乗り越えて来れたのは「オセロの法則」という考えを持ち続けたからです。
人は生まれた時は誰もが白石です。それが途中嫌なことがあると、黒石を打ってしまいます。「俺はどうしてこうなんだ」とか「分かってくれない、周りが悪い」など悲観や他責思考で何もしなければ、打った黒石のままで何も変わりませんし、次に進むことができません。

私は少年時代に道が反れ、高校を中退し、父から勘当され地元の大分を追い出され、誰も知らない名古屋の土地に辿り着きました。その時、私は黒石でした。しかし「いつか見返してやる」「そんな過去もいつか笑って話せる人間になってやる」そう決意して、前向きに取り組んだ結果、今はまだ道半ばですが、その通りになる事ができました。

つまり白石を打つことが出来たのです。するとオセロではどうでしょう。最初は白石で次は黒石、最後に白石を打つと、黒石は白石に変わります。黒石を打った時は悲観的でしたが、今ではその黒石の歴史があったからこそ、今の自分があると肯定的に考える事が出来ました。

つまり、過去は変えられないですが、過去への捉え方は変えることが出来ます。
どんな失敗も良き経験として前向きに捉え、何年かかっても良いので前に進んで乗り越えて、最後に白石を打てればよいのです。それがオセロの法則として根付いているので、どんな事も必ず乗り越えられます。失敗しても、それが血となり肉となり糧となります。そして必ず肯定的に捉えられるようになる事を知っているので、白石を打つ努力を続けられています。

世の中には嫌な事や理不尽な事が多くあるとは思いますが、環境は変わらずとも考え方ひとつで見える景色が変わっていきます。より良い人生を送る為の思考法の一つとして、覚えておいていただけると嬉しいです。