日本体育大学体育学部体育学科卒業後、私立高校勤務。16年間の高校教員を経て、38歳から学園の短大と高校において入試広報の責任者や教頭等の中間管理職を6年兼務。乳がん第四期生存確率30%と宣告され克服、人生のリスタートを決意し学園を退職。健康の重要性を痛感。これからの人生は、病気の体験を生かして人の役に立ちたいと思い独立。元気倶楽部設立。「元気健康」をテーマとしたイベント活動や講演会を主催。講演会企画運営により、250名~1,000名動員。NPO法人元気健康活動協会設立。『元気健康フェスタピンクリボン一宮』を10年間開催。入場者数3,000名を達成。収益の一部をピンクリボン活動団体に寄付。大阪市立大学非常勤講師を11年務める。現在は、元気アカデミーとして、講演会・セミナー講師、元気ソフトボールアカデミー、ポールで楽らくウォーキング教室等主宰。スポーツ選手や一般対象にセルフメンテナンス等個別対応をしている。『子どもの夢実現を加速する実践法』出版。2023年から「gente(げんて)健康法」活動開始。
略歴
現在の仕事についた経緯
スポーツの魅力や夢の実現は可能であることを伝えたくて教員になり、特に部活動に力を注ぎました。
その後、学園の改革で38歳から中間管理職になり、学園の募集広報の責任者として奔走しました。
ところが、43歳の時に、乳ガン・第四期・生存確率30%と宣告されました。
克服後、健康の重要性を痛感し、学校という狭い組織から離れ、これからの人生は、病気の体験を生かして多くの人の役に立ちたいと思い独立し、『元気健康』をテーマに活動しております。
仕事へのこだわり
小学4年生の時に野球・ソフトボールと出会い、その面白さに魅了され、中高大とソフトボールに熱中しました。努力の甲斐あって、チームの司令塔(捕手)として高校ではインターハイ初出場、大学ではインカレ4連覇を達成し、自身で掲げていた目標を達成することができました。
そのために中学生の頃から守備では打者を打ち取る配球の組み立て、打撃では相手投手の特徴や配球などのデータを取り研究しました。また、自身の技術や体力向上においてもストイックでした。こうした過去の体験が仕事のベースになりました。
部活動では、ソフトボールとテニスを指導しましたが、いかに効率よく科学的に向上していくかを追求し、生徒・学生募集では過去のデータを読み解き、強み弱みを見つけていました。独立後もイベントの集客や新規事業の明確な目標設定と具体的な方法を考えるなど、仕事とスポーツの基本は一緒だと考えます。
また、仕事も自分一人では限界があります。社内でコンセンサンスを図りベクトルの方向を合わせ、外部の専門家と組むなど、チームとして活動することを心がけています。
若者へのメッセージ
現在、事業として講演会・セミナー講師、ポールを使ったウォーキング、セルフメンテナンス講座のほかに、小中学生を対象としたソフトボールアカデミーも主宰しています。
今の子どもたちは10年以上前と比較すると指示待ちの子どもが多く、言われてから、または、周囲を見てから動いており、自ら考えたり行動したりする子どもが少ないと思います。また、行動する前から失敗を恐れて不安に陥る子どもも増えたように思います。
そんな子どもたちに、子どもの可能性は無限大だから恐れずチャレンジすること、次に何をするのか考えること、成功のイメージをすること、目標を明確にしてビジュアルや文字で可視化することなどを座学の時間も作って説明します。そうすることで、本人自身が描いたとおりに成長していく子どもが増えます。
まずは、大きな目標を決めてやってみることです。やるかやらないか、1歩踏み出すかどうかです。やっていく中で修正すればよいことです。
明るく楽しく元気よく笑顔で今を生きましょう。元気は愛なんだ!