INTERVIEW
HIGUCHI TAKAYUKI

樋口隆行

株式会社東洋プロパティ 代表取締役社長 https://toyo-property.co.jp/

略歴

祖父は材木商で大工、父は建築設計士という家系の長男として生まれる。家庭の事情で17歳から新聞奨学生として自力進学。その後、20代での起業を目指し、証券金融、不動産賃貸、売買、仲介、分譲販売、プロジェクト企画の会社で経験を積み、29歳で現株式会社の前身となる建設業の有限会社を起業。2級建築士、1級建築施工管理技士、1級土木施工管理技士、宅地建物取引士等の国家資格を取得。設立から35年を迎えた現在は、木造を主にRC造、S造と幅広く設計から建築施工までをトータルで請負う。近年独自の分譲型賃貸併用住宅スキームを開発。新規性のあるビジネスモデルとして神奈川県知事より経営革新計画承認を受ける。その他空き家賃貸化フルリノベーション提案、木造特殊工法によるビル・倉庫提案などのビジネスモデルも展開する。

現在の仕事についた経緯

新聞奨学生として自力で生活したこと、即ち労働収入を得て生きてゆく術を獲得したことが独立起業への目標に繋がったと思います。
ただ具体的な仕事については決まっておらず、単純に大きいお金を動かす仕事がしたいという発想で、証券業界、不動産業界の仕事に就きましたが、結果的にはそれらの仕事にやりがいを見いだすことが出来ず、建築という物づくりの世界で起業することになりました。
それは幼少のころから祖父や父の仕事に影響を受けてきた潜在意識と、不動産業に携わる中で建築という物づくりに対して魅力を抱き続けてきた顕在意識による必然的な結果なのかもしれません。

仕事へのこだわり

社会へ出てからは不動産業界でいろいろな仕事を経験しましたが業界には様々な仕事の役割があり、お客様に喜んで頂ける機会も多く私にとって理想的な仕事でした。
しかしその反面、目的意識を見失うとただ高額な報酬を追い求めることに注力してしまい、仕事に対するやりがいや自身のスキルアップという部分で将来に不安を感じることもあり、斡旋や管理、販売というサービス業では無く、技術が伴う形として残せる物づくりの仕事、建設業での独立に至りました。
起業してからしばらくは不動産取引で知り合った業者から賃貸物件の原状回復工事などの仕事をもらい、確実に実績をつくることから始め、徐々に仕事の幅を広げていたそんなある日、私が生涯を通してやるべきミッションを決める出来事がありました。
それは「家族が病気になる家」の現実を目の当たりにしてからのことです。
私は「婚外子」で生まれ父の祖父母に育てられましたが、祖父母が亡くなった後は新たな母に育てられ、妹ができました。その後、突然父が蒸発したことで私は家を出ることになり、母と妹は母子家庭として懸命に生きる日々を送ることとなったのです。
目の当たりにした現実とは管理会社の依頼によりメンテナンスで訪問した賃貸アパートの1室で見た光景です。顔を赤くした小さい女の子が「かゆい、かゆい」と泣いていたので室内を見渡すと至る所の壁面に酷いカビ。私はすぐさまお子様がカビアレルギーによるアトピー症状であることを悟ったのです。
その時の私の頭の中には離ればなれになった自分の母と妹のことがありました。この時を境に「家族が普通に安心して幸せに暮らせる家」をつくることを生涯のミッションとして家づくりに携わってきました。

若者へのメッセージ

私の場合は不動産業、建設業という業界でしたので学歴というよりも“経験と実績、そして専門知識の裏付けとなる資格”で信用を得ることの重要さを実感してきました。
まずはその仕事への「やりがい」を見つけ、プロを目指す。そしてその先に“その人独自の価値観、個性、技術に基づいた仕事の集大成”という到達点があります。
古くから武芸や~道とつく世界には「守破離」(しゅはり)という言葉がありますが、どのような仕事にも共通する概念かと思います。
「守」はその仕事の基本を習得し指示された作業を単独で行うことができるレベル。
「破」はその仕事の基本を独自の工夫により改善・改良し行うことが出来るレベル。
「離」はその仕事の基本から離れ新たな仕事の創造を行うことが出来るレベル。
生涯の仕事を決めるにあたっては「守」から「破」「離」を目指すことによりその目標が見えてくるかと思います。
世に一般的に言う「修行」の期間です。
「修行」というと厳しさを耐え抜くイメージがありますが、私の考える「修行」とはその仕事への「やりがい」とその先の「ミッション」を見つけるためのプロセスであると考えています。
これからの社会を担う若い皆様には、この「守破離」を心の片隅にご活躍をして頂きたく切に願っております。