INTERVIEW
ASO TOSHIMASA

阿曽敏正

株式会社アソインターナショナル 代表取締役 https://www.aso-inter.co.jp/

略歴

日本歯科大学付属歯科技工士学校(現・日本歯科大学付属東京短期大学)卒業後、インストラクターとして技工士の育成を行う。矯正歯科の本場アメリカでの先端技術を学び、1982年に歯科技工所ASODENTALを創業。1988年にアソ・デンタル(現・同社)設立。歯科矯正分野専門の歯科技工所の草分けとして全国の歯科医院と取引を行う。2022年12月、東証スタンダード市場に上場し現在に至る。

現在の仕事についた経緯は?

創業した約40年前は、日本では今のような審美目的での歯科矯正治療は、ほぼ誰もしていない状態でした。私が歯科技工の道に進んだのは、親戚に歯科医が多かったことからこの仕事に興味を持ったのがきっかけでした。
歯科医院でアメリカの矯正専門の技工所を紹介した雑誌記事を見かけた時に、将来は歯科矯正が日本でも普及すると直感的に思いましたが、日本には矯正専門の歯科技工所がなく、それならば自身で創業しようと決めました。

仕事へのこだわり

『どんな仕事にも全力を尽し、患者様とお客様の気持ちになって取り組む』という信念を持ち今まで仕事をしてきました。私が22歳で創業してから7年ほどは仕事がなく非常に厳しい時期が続きました。歯科技工士のほぼ全ての人は、先ず一人前になるまで技工所や歯科医院に勤務して技術を身につけるのですが、私の選んだ矯正技工は当時の日本では誰も教えてくれる人はいませんでした。
もう諦めて補綴物(詰め物や被せ物などの歯科技工物)や入れ歯を作った方が良いと周囲から説得を受けました。でも私はこの道を諦めませんでした。日本で勉強が出来ないのならば海外で学ぼうと、借金をして本場アメリカの技工所へ研修に行き、大手技工所や歯科大学とのコネクションを、がむしゃらになって作り日本に戻りました。
帰国後もまだまだ日本での矯正需要は少なかったのですが、とある歯科大学の先生が「矯正装置は見栄えを直すだけではなく、顎関節症など、患者の口腔内の問題を解決するために必要だ」と唱え、これが私にとって一つの転換期となりました。それからは患者様のために、お客様のために、どう応えるかを模索し続け、あるとき日本国内の歯科大学との契約に繋がったのです。
その時期はちょうど、日本全体に矯正治療が浸透し始めた頃だった思います。契約した歯科大学から独立開業する歯科医師が、弊社を指名して契約してくれる。そんな状況にようやく辿りついたのです。それからは国内歯科大学をはじめ多くの開業医と取引を行ってきましたが、いつまでも初心を忘れず、これからは矯正歯科を通じて、審美・未病に資する社会貢献をしていくことが私の務めだと考えています。

若者へのメッセージ

これからの時代は、歯科技工の分野でもデジタルやAIなどが進みます。知恵やアイデア次第では今までとは全く違うビジネスチャンスが訪れると考えます。
毎日過ぎて行く時間を無駄にせず、是非新しい物にチャレンジしてみて下さい!