INTERVIEW
ASAI NAOYA

浅井直也

高砂電気工業株式会社 代表取締役会長 https://takasago-elec.co.jp/

略歴

1983年に名古屋大学法学部を卒業後、日本放送協会に入局。1992年、高砂電気工業株式会社に入社。旋盤工、設計、海外営業など経て、2002年に代表取締役社長に就任。2020年より代表取締役会長となる。

-現在の仕事についた経緯-

会社の創業者が私の父ですから、端から見れば息子が継いだというだけのことですが、我が家の場合、そこまで単純ではありません。母は私が小学生の時に他界しましたが、その遺言が「息子達には会社を継がせないでくれ」というものでした。ですから兄も私も、この会社に入るということは全く考えずに、自由に進学先、就職先を選びました。
私の場合、最初の就職先は放送業界でした。そんな私が今この会社にいるのは、乗り気でなかった私に父が行った熱心なリクルーティングの成果と言えます。私は親子関係とは無関係に、純粋に職業として経営者になることの善し悪しを考え、判断しました。色々ありましたが、今はあの転職は正解だったと思っています。そんな経営者という職業の面白味を次世代に伝えていくのも私の仕事だと思っています。

-仕事へのこだわり-

当社の主戦場がニッチ市場であることもあり、独創性ある製品を創ることと、そのための独自のニーズ情報収集が、私のこだわりでしょうか。私自身かなり天邪鬼で、よく人と違う発想や行動をしますが、それがNASAやMITでも採用されるようなものづくりにつながっていると思います。
差別化が企業戦略の一つということは、皆さん異論ないと思いますが、その実行は言うほど簡単ではありません。まず、差別化された製品やサービスのネタは、そう簡単に思い付けるものではないと思います。0から1を生み出すなど、たやすくできることではありません。私の場合も、自ら何かを考えついたというよりも、お客様からいただいた小さなヒントを「これは行けるかも」と自社製品に取り込んで展開させたことの方が遥かに多いです。
差別化のヒントをお客様からいただくということなのですが、問題は、どんなお客様からどういただけるかということで、私は、百人、千人の平均的なユーザーの調査よりも、ほんの数人の尖ったユーザーからの情報の方が、遥かに差別化の方向性を示唆してくれるものだと思っています。私達はこれをミクロ・マーケティングと呼んでいます。
そんな先端ユーザーから製品ヒントが得られたとして、それを実行することも必ずしも容易ではありません。敢えて市場の少数派の声を聞くということです。売上や業績に責任を持つ立場の人間が、多数派意見、つまり、多くのユーザーが支持する製品に傾きたくなるのは自然なことです(マクロ・マーケティング)。それを振り切って、敢えて少数派の意見から次世代製品を予測するということには、ニーズ顕在化までのタイムラグや、予測が外れるリスクがついて回ります。長期的な視点での判断が必要だということです。大企業よりも、時に中小企業の方が製品差別化に於いて輝きを放つことができるのは、オーナー経営をベースに長期的な視点を持てるからではないでしょうか。

-若者へのメッセージ-

私は名古屋に暮らしていますが、ここが江戸時代に何藩だったか、皆さんご存知ですか。数百年前、多くの庶民にとって政治経済の最大の単位は藩だったと思うのですが、今の時代、藩は単なる歴史の知識にしか過ぎません。私は同じようなことが将来、国家に起こるのだと思っています。
若者たちが舞台とすべきは、日本という国ではなく、世界になるのです。それに向け、まずは日本の国民性が持つ強味・弱味を把握されてはいかがでしょうか。それをネット情報ではなく、自ら海外と交流し、実体感してもらいたいと思います。
日本人は、自己主張が絶望的に下手だとか、リスクを恐れ過ぎて成長的な投資が苦手だとか、弱味も色々あります。一方で、強味も当然あります。世界の人々と接触する中で、その強味を見い出し、差別化ポイントとして上手に売り込むことができれば、皆さんの人材価値もきっと上がると思います。
世界で見れば、日本は大企業ではなく中堅企業みたいなものです。日本人が成功するには、きっとニッチ戦略が合っていると思います。