INTERVIEW
ANMA NOBUHIRO

安間信裕

株式会社NO NAME 代表取締役 http://kk-noname.co.jp/

略歴

1998年、学生社員として愛知県名古屋市の編集プロダクションにアルバイト入社。2000年、個人事業で企画編集プロダクション設立。2001年、商業店舗、商業施設出店プロデュース会社設立。2006年、多額の負債を背負って廃業。2年間路頭に迷う。2008年、経営者から誘われて株式会社FKに入社。当時、右肩上がりだった携帯事業に進出。2010年に代表取締役に就任。2011年、東日本大震災発生翌日に社員・協力会社30名を伴って宮城県気仙沼入り。復興支援を行う。自分にとって非常に大きく貴重な経験をする。2013年、当時、注目を集めていた再生可能エネルギー事業への進出を役員会で提起するも承認されず、株式会社FKを譲渡して新会社設立準備に取り掛かる。2016年、株式会社NO MARK設立。本格的に再生可能エネルギー事業に参入。2018年、株式会社NO NAME設立。現在に至る。

現在の仕事についた経緯

携帯基地局事業を主な業務として一部上場企業と十分な取引ができていた2011年に東日本大震災が起こりました。大震災発生翌日に取引先からの依頼で社員・協力業者30名を引き連れて東北一帯で復興支援業務を行いました。この時、政府が原発をなくすために再生可能エネルギーに力を入れるという発表をしたことをきっかけに、再生可能エネルギー事業に興味を持ち始めました。
当時、私が代表を務めていた会社では一部上場企業との取引で十分という考えで、新規事業への参入を断念することになったものですから、会社を譲渡して再生可能エネルギーを主業務とする会社を設立するに至りました。
自分で営業に飛び回ってほぼゼロから作り上げ、やっと安定を手に入れた会社を手放して、未経験の業界に飛び込むことに周囲の人たちは呆れていました。絶対に見返してやろうと全力で業務にあたりました。

仕事へのこだわり

NO NAMEという社名には「自分は何者でもない」という意味を込めました。自己中心的で傲慢な自分自身への戒めでもあり、建設業界から古くある“暴力を伴う教育や社内序列など悪しき慣習に自分たちは染まらない”という思いを込めています。
自分には特別なアイディアも技術もありません。愚直に誠実にお客様から頂戴した仕事を一生懸命にやるということしかできません。小さな会社で他にたいして誇るものもない弊社が、お客様の信用・信頼を得るためには「火中の栗を拾う作戦」しかありません。工期が遅れている、トラブルがあった、良い噂を聞かないなど同業他社が避ける現場にあえて飛び込んでいくというリスキーな手法が功を奏して会社は成長してきました。
当時の社員はよくついてきてくれたなと思います。やっと会社が安定しはじめ、これからは社員が誇れる会社作りにより一層力を入れていきたいです。

若者へのメッセージ

人を傷つけたり押しのけたりすることなく自分のポジショニングを作れる人になってほしいと思います。人と比較しないと自分の立ち位置を確かめられないようではいけません。自分は今何を求められているのか、人から自分はどう見えているのかを主観ではなく俯瞰して見られる人は成長できる人だと思います。そんな本当の強さを持ったリーダーがどんどん生まれてほしいと思います。
時代は個性を重視する「個の時代」に突入しています。馬鹿なこと、無謀なことを信念をもってやり遂げた先に評価が待っている時代だと思います。人生は一度きりです。楽しんだもの勝ちです。