関西医療学園東洋医学鍼灸学科を卒業した後、27歳の時に独立し、神戸東灘区にいとう鍼灸整骨院を開業。『治療からの卒業』を掲げ、保険診療から完全自費診療に切り替え、9割の患者を失いながらも3ヶ月でV字回復。現在は一回13,000円の治療費にも関わらず紹介が紹介を呼び、新規は一年待ち。世界最高峰の山岳競技の日本で唯一の公式トレーナーとして3年連続選出。現在は専門家向けのセミナー、教育機関への講師活動、姿勢を整える健康体操《笑顔を生み出す姿勢体幹体操》考案、過疎地域でのキャンプ場作りなどを行い、多方面で活躍中。著書に『足の甲のばし』(マキノ出版)がある。
略歴
-現在の仕事についた経緯-
「せっこついんのお店を持つ」これは小学校の卒業アルバムに書いた15年後の自分でした。これがすべての始まりです。
当時、私の母は阪神大震災で被災し、小さな私を必死に守るため、無理をして股関節を痛めてしまい、足を引きずる生活を送っていました。そんな母の足の痛みを少しでも楽にしてあげたいと、当時の私はマッサージとも呼べない、さする程度のことしかできませんでした。一時的にしかマシにならない症状に、どうしたら母の足は良くなるのか?と、そんな幼少期の経験から子供なりに導き出した精一杯の【夢】だったのです。
中学から柔道に出逢い、高校、専門学校と9年間、柔道部に所属し、心・技・体を磨く柔道に捧げた青春時代でした。「もっと強くなりたい」と兵庫県の伝統校、報徳学園の門を叩きました。稽古に明け暮れる毎日でしたが、高校2年の春、稽古中に膝の内側側副靭帯と後十字靭帯断裂になってしまいました。柔道だけでなく、私生活にも支障をきたす経験とドン底から復活した経験を通して、正しくアプローチすれば怪我や痛みは早期回復することを身をもって体験し、人の可能性は無限大だということを知ることができたのです。
それは小学校の時の小さな夢と、中高での柔道の実体験を通して、点と点が線で結ばれた瞬間でした。
一人一人と向き合い、「治療から卒業」へと導くことをコンセプトに、2012年4月に東灘の地で開業しました。12歳の当時描いた「15年後の自分」の夢の通り、27歳で『せっこついんのお店を持つ』ことが実現するに至りました。
-仕事へのこだわり-
学生時代から成績は下から数えた方が早く、決して優等生とは言えませんでしたが、興味のあることには時間を忘れるぐらい没頭するタイプでした。
治療家としてのキャリアをスタートするにあたって、よく師匠から言われていたのが『痛みは結果であり原因ではない』ということでした。目先のことだけでなく、本質を逃すなという教えです。
そのために、目だけでなく五感をフルに使って患者の内なる声に耳を傾け、身体の声を聴き、本当の原因を把握するだけでなく悩みを紐解き、治療から卒業してもらえるように『聴く』ことを大切にしてきました。これはきっと今後も変わることはありません。
この『聴く』ことは他の事業でも当てはまります。対象は変われど、患者、専門家、そして地域の声にこれからも耳を傾けていきたいと思います。
-若者へのメッセージ-
『挑戦する人生を』という言葉を贈ります。
現在もし進路や転職など生き方に迷っていたら、今の自分にとって背伸びするぐらいの挑戦を選ばれることをお勧めします。
私自身も、2017年に転機が訪れ、世界大会の公式トレーナーへの切符が目の前に降ってきました。大会側からは「フランス語か、最低でも英語が話せることが条件」と言われましたが、大会に間に合わせれば問題ないと即快諾しました。
しかし、当然2カ国語なんて3ヶ月で習得することはできませんし、初めての世界大会では大恥をかきました。しかし、そこから毎年声がかかるようになり、日本にいるだけでは積むことのできない経験と仲間を得たことは、私にとって財産となりました。
後悔するのはいつも挑戦しなかったことです。挑戦した結果はどうであれ、挑戦しないと得られない経験や景色があります。狂ったように挑戦してください。